それゆけましろ

奮闘日記

発達障害についての記述

 前回、精神疾患についての論文を作成したが、今回は発達障害について記述したい。
精神疾患発達障害も目には見えないものである。
では一体何が違うのか。
精神疾患は様々なストレス要因がきっかけとなり、精神や身体の働きに影響を及ぼし、精神や身体の働きが不安定になり、日常生活に支障を来す病気の事である。
発達障害は心身の発達に問題がないにも関わらず、行動や認知の面である特定の領域に問題が見られる先天性の脳機能の発達の偏りによる障害である。
所謂精神疾患は何らかのストレス要因がきっかけで発症するが、発達障害は生まれつきの脳の偏りにより発症するのである。

今回はその発達障害について記述する。

 私が発達障害について深く理解する事が出来たのは、ほんの数年前、大学の講義での事が始まりだった。
自閉症アスペルガー等、名前は聞いた事があったが、実際どのような障害なのかは全く知らなかったのである。
講義を通し、発達障害について理解を深めるうちに疑問を持ち始めた。
今までは特別支援等の学校、又は学級に通っている児童、生徒のみがそういった障害を持ち苦しんでいると考えていたが、特別支援を受けていなくとも、普通に日常生活を送っている身近な人々も本人や周囲が気付いていないだけで、発達障害を抱えている人間はいるのではないかと思い始め、更に理解を深めるべく研究を進めた。
研究を進めた結果、周囲の人間をより観察するようになり、さり気なくサポートをするよう心掛け、部下の指導も個人に合ったルーティーンを考え、新人教育等も行うようになった。
あの時、発達障害について疑問を持ち、研究を進めた事は無駄ではないと感じている。

 ここで、発達障害の主な症状や分類について説明する。
発達障害は大きく3つに分類される。
まず一つ目の自閉症スペクトラム(ASD)は対人関係・社会性やコミュニケーション能力に困難があり、興味や関心の幅が狭く物事に強い拘りを持つ、また同じ行動を繰り返す、柔軟な思考や変化への対処が難しい等、人によって症状が分かれる障害である。
また、ASDの中にも様々なタイプが存在し、知的障害や言語障害を伴う場合もあり、診断名や基準により自閉症、アスペルガー症候群、高機能自閉症、カナー症候群、広汎性発達障害等の名称や疾患概念で分類される。
アスペルガー症候群は、自閉症スペクトラム症の中でも言葉や知的の遅れがない障害であり、特徴としては、遠まわしな表現や比喩を使った表現、表情やしぐさから相手の感情を読み取ることに困難さがある為、空気が読めない特性がある。
その他にも、一度決まったルーティーンが崩れる、新しい環境へ適応が必要になる事等の変化に対する抵抗が強くあるともいわれている。
しかし、専門の知識が無い人間以外にはただの空気の読めない変な人という印象を持たれ、敬遠されがちであり、私はそのような人々を目にする度に心が痛くなる。
尚、高機能自閉症は、アスペルガー症候群同様知的な遅れはないが、言葉の遅れが見られる。
自閉スペクトラム症の“スペクトラム“とは”連続体“という意味であり、つまりアスペルガー症候群も高機能自閉症も連続性の中にあり、どの特徴・特性が”濃く“表れるかは、一人ひとり異なり、その人がいる環境によっても異なる為、一人ひとりがどの環境でどのような特性を持っているかを明らかにしていくことが大切であるといえる。
広汎性発達障害(PDD)は社会性やコミュニケーション能力等の発達遅滞を特徴とする発達障害の総称であり、対人関係の障害や、会話が一問一答状態になってしまう言葉等のコミュニケーションの障害、こだわりや想像力の障害等の特性が挙げられる。
会話が出来ない即ち自身で明確な文章を組み立てる能力が欠けている為、報連相が上手く出来ない。しかし専門知識がないと、これもまた只の木偶の坊扱いされてしまうのだ。
2つ目の学習障害(LD)は知的発達に大きな遅れはないのが、書く・読む・聞く・話す・計算するといった特定の行動が困難な状態であり、多くの場合は学齢期になって初めて発覚する。
読字障害、書字表出障害、算数障害の3つに分類され、“聞く”、“話す”、“読む”、“書く”、“計算する”という5つの能力の全てに必ず困難があるというわけではなく、読む能力はあるが書くのが苦手、数学だけが理解が出来ない等、得意不得意の差が大きく、ある特定分野に偏りが見られる事が多い。
また読字障害は、学習障害と診断された患者の中で1番多く見られる症状であり、別名でディスレクシアと呼ばれ、欧米では約10~20%の患者にこの症状がみられると言われている。
また特定分野が出来ない事を除けば、発達の遅れは見られない為、「頑張ればできる」「努力が足りない」「勉強不足」とやり過ごされる事が多い障害である。
 3つ目の注意欠陥・多動性障害(ADHD)は「気が散りやすい」「集中力がない」「忘れっぽい」「落ち着きがない」「思いつきで行動してしまう」「しゃべりすぎる」「待てない」など、年齢に見合わない不注意、多動性・衝動性によって学業や日常生活に支障が出る障害であり、自身で感情や行動のコントロールをするのが難しく、周りから批難や叱責を受けてしまいがちである。
ADHDは、不注意・多動性・衝動性の現れ方の違いにより、「不注意優勢型」「多動性・衝動性優勢型」「混合型」の3つのタイプに分類される。
不注意優勢型は“不注意”の特徴が最も強く現れ、“多動性”、“衝動性”はあまりみられない。
気が散りやすい、注意散漫、ぼんやりとしやすい、忘れ物が多いなど特徴が見られ、大人しく目立たない為、ADHDと気付かれにくい側面がある。
多動性・衝動性優勢型は“多動性”、“衝動性”が強く現れ、落ち着きがなく、授業中に立ち歩いたり、おしゃべりが止まらなかったりする特徴が見られる。
また衝動が抑えられず些細な事でカッとなりやすい為、乱暴者と捉えられやすい傾向にあり、子どもの場合は大人から怒られやすいのも一つの特徴である。
混合型は“不注意”、“多動性”、“衝動性”の全ての特徴が現れ、どれが強く出るかは人によって異なる。
忘れ物が多く、物をなくしやすい、落ち着きがなく、じっとしていられない等の特徴が見られる。
専門知識がない人間からは、親の躾が悪い、乱暴者、間抜け者等の印象を持たれる。

ここでは大きく見られる3つの障害を挙げたが、他にも話したいにも話せず、子どもの頃は人見知りや恥ずかしがり屋、大人になると挨拶が出来ない、声が小さい、話さない等の印象を持たれる場面緘黙症や、自分の性別に違和感を覚える性同一性障害等、まだ世間の認識が浅い障害が沢山存在する。

一見何も抱えていないように見えても、実は見えない障害を抱え、苦しんでいる人間は多くいるのだ。
そんな人々をどうか侮蔑の目で見ないで受け入れて頂きたい。
可能であれば、サポートし、理解を示して頂きたいのだ。

敬遠するのではなく、互いの特徴を認め合い、特性を活かす、少しでも多くの人々が生きやすい環境づくりをする事が、我々の課題であると私は考えている。


実際に他者の個性を受け入れ、思いやりや気遣い、サポートを出来ている人間は非常に少ない。

私は2年間、養護教諭になる為に必死に勉強してきたつもりだ。
授業は寝てばかりで教員採用試験の2次試験前、周囲の学生が試験勉強や面接練習に励む中、コンサート団扇を作成し、コンサートと被ったから、と試験を飛ぶことも考慮してゼミ担に相談の電話をする等、色々とぶっ飛んだ学生でもあった私がこんな事を言っても何の説得力もないが、私は、心の健康や脳の障害等、生きる上で最も複雑であり重要である部分に関しては深く勉強してきたつもりである。

憲法や学校保健安全法、解剖生理、薬理、他にも沢山講義があった。
でも、私にとってはそんなものは二の次であった。
法律なんて最低限必要な文章のみを頭に入れていたらいい、解剖整理もせいぜい大きな筋肉、骨の名前すりゃ軽く頭に入れとけばいい、ベッドメイキングを正確にするよりもシーツを清潔に保つことの方が大切だ。
応急処置も最低限の事だけを覚えていたらいい、綺麗に包帯が巻けなくとも止血が出来れば、固定出来れば、後は医者に託したらよいのだ。
我々に医療行為は出来ないのだから。

それよりも大切なのは他人を理解し思いやることである。
しかし、自分の脳内では対処方法が分からない人間だって現れるだろう。
その為に我々は勉強し、意識を深める。
そうすれば救われる人間が現れるかもしれない、自殺する人間が減るかもしれない。
大切なのは相手を理解し受け止める精神であると考える。

そういった心持で生きてきたからなのか、薄々と発達障害持ちである人を見分ける事が出来る。
しかし周囲はおろか本人すら自分がそんな障害を抱えている事には気付いていないだろう。
ただ、日常の生活にところどころ苦痛を感じながら、或いは感じる事も出来ずに生活しているように見受けられる。
そして周囲の目も冷たい。
私はそんな人々にはさり気なくサポートするよう心掛けている。
具体的に表現、物を使用しての説明、落ち着いたトーンでゆっくりと、等
そのような小さなサポートでもきっと彼らは救われるのだ。
何故出来ないのかと責めるのではなく、彼らが出来ない理由を一緒に考える事が大切である。
これは教育者だけではなく、貴方達全員にも必要なことである。

困難を抱えている人は、想像以上に多い。

少しでも多くの人にとって優しい世界になる事を願っている。