それゆけましろ

奮闘日記

あとがき【発達障害】

この度は発達障害についての論文をお読み下さいましてありがとうございます◎

 

 

精神疾患と比べ、まだまだ未研究である部分が多く、内容が薄い記事になってしまいました、ごめんなさい。

 

 

あとこの記事を書いた時は、少し脳の働きが遅く、深い記事が書けず、自分の意見、意志が伝わりにくい文章になったなあと思っています。

 

 

 

発達障害について私なりに研究し、周囲に対し深く注意を向けるようになりました。

 

 

本人すら気付いていませんが、発達障害持ちの方は割と多く、理由も分からず日常生活に困難を抱えている人が多く見受けられます。

 

そういった人々に対し、世間の風当たりは厳しく、私はいつも心を痛めておりました。

 

そして、精神疾患の論文を書くとともに、少しでも多くの方に発達障害について、理解して頂きたいと考え、書かせて頂きました。

 

 

 

正直なところ、論点が曖昧でまとまりのない文章だとは思いますが、読んで頂けると嬉しいです◎

 

 

 

 

ではまた、次の記事でお会いしましょう。

 

 

 

 

 

発達障害についての記述

 前回、精神疾患についての論文を作成したが、今回は発達障害について記述したい。
精神疾患発達障害も目には見えないものである。
では一体何が違うのか。
精神疾患は様々なストレス要因がきっかけとなり、精神や身体の働きに影響を及ぼし、精神や身体の働きが不安定になり、日常生活に支障を来す病気の事である。
発達障害は心身の発達に問題がないにも関わらず、行動や認知の面である特定の領域に問題が見られる先天性の脳機能の発達の偏りによる障害である。
所謂精神疾患は何らかのストレス要因がきっかけで発症するが、発達障害は生まれつきの脳の偏りにより発症するのである。

今回はその発達障害について記述する。

 私が発達障害について深く理解する事が出来たのは、ほんの数年前、大学の講義での事が始まりだった。
自閉症アスペルガー等、名前は聞いた事があったが、実際どのような障害なのかは全く知らなかったのである。
講義を通し、発達障害について理解を深めるうちに疑問を持ち始めた。
今までは特別支援等の学校、又は学級に通っている児童、生徒のみがそういった障害を持ち苦しんでいると考えていたが、特別支援を受けていなくとも、普通に日常生活を送っている身近な人々も本人や周囲が気付いていないだけで、発達障害を抱えている人間はいるのではないかと思い始め、更に理解を深めるべく研究を進めた。
研究を進めた結果、周囲の人間をより観察するようになり、さり気なくサポートをするよう心掛け、部下の指導も個人に合ったルーティーンを考え、新人教育等も行うようになった。
あの時、発達障害について疑問を持ち、研究を進めた事は無駄ではないと感じている。

 ここで、発達障害の主な症状や分類について説明する。
発達障害は大きく3つに分類される。
まず一つ目の自閉症スペクトラム(ASD)は対人関係・社会性やコミュニケーション能力に困難があり、興味や関心の幅が狭く物事に強い拘りを持つ、また同じ行動を繰り返す、柔軟な思考や変化への対処が難しい等、人によって症状が分かれる障害である。
また、ASDの中にも様々なタイプが存在し、知的障害や言語障害を伴う場合もあり、診断名や基準により自閉症、アスペルガー症候群、高機能自閉症、カナー症候群、広汎性発達障害等の名称や疾患概念で分類される。
アスペルガー症候群は、自閉症スペクトラム症の中でも言葉や知的の遅れがない障害であり、特徴としては、遠まわしな表現や比喩を使った表現、表情やしぐさから相手の感情を読み取ることに困難さがある為、空気が読めない特性がある。
その他にも、一度決まったルーティーンが崩れる、新しい環境へ適応が必要になる事等の変化に対する抵抗が強くあるともいわれている。
しかし、専門の知識が無い人間以外にはただの空気の読めない変な人という印象を持たれ、敬遠されがちであり、私はそのような人々を目にする度に心が痛くなる。
尚、高機能自閉症は、アスペルガー症候群同様知的な遅れはないが、言葉の遅れが見られる。
自閉スペクトラム症の“スペクトラム“とは”連続体“という意味であり、つまりアスペルガー症候群も高機能自閉症も連続性の中にあり、どの特徴・特性が”濃く“表れるかは、一人ひとり異なり、その人がいる環境によっても異なる為、一人ひとりがどの環境でどのような特性を持っているかを明らかにしていくことが大切であるといえる。
広汎性発達障害(PDD)は社会性やコミュニケーション能力等の発達遅滞を特徴とする発達障害の総称であり、対人関係の障害や、会話が一問一答状態になってしまう言葉等のコミュニケーションの障害、こだわりや想像力の障害等の特性が挙げられる。
会話が出来ない即ち自身で明確な文章を組み立てる能力が欠けている為、報連相が上手く出来ない。しかし専門知識がないと、これもまた只の木偶の坊扱いされてしまうのだ。
2つ目の学習障害(LD)は知的発達に大きな遅れはないのが、書く・読む・聞く・話す・計算するといった特定の行動が困難な状態であり、多くの場合は学齢期になって初めて発覚する。
読字障害、書字表出障害、算数障害の3つに分類され、“聞く”、“話す”、“読む”、“書く”、“計算する”という5つの能力の全てに必ず困難があるというわけではなく、読む能力はあるが書くのが苦手、数学だけが理解が出来ない等、得意不得意の差が大きく、ある特定分野に偏りが見られる事が多い。
また読字障害は、学習障害と診断された患者の中で1番多く見られる症状であり、別名でディスレクシアと呼ばれ、欧米では約10~20%の患者にこの症状がみられると言われている。
また特定分野が出来ない事を除けば、発達の遅れは見られない為、「頑張ればできる」「努力が足りない」「勉強不足」とやり過ごされる事が多い障害である。
 3つ目の注意欠陥・多動性障害(ADHD)は「気が散りやすい」「集中力がない」「忘れっぽい」「落ち着きがない」「思いつきで行動してしまう」「しゃべりすぎる」「待てない」など、年齢に見合わない不注意、多動性・衝動性によって学業や日常生活に支障が出る障害であり、自身で感情や行動のコントロールをするのが難しく、周りから批難や叱責を受けてしまいがちである。
ADHDは、不注意・多動性・衝動性の現れ方の違いにより、「不注意優勢型」「多動性・衝動性優勢型」「混合型」の3つのタイプに分類される。
不注意優勢型は“不注意”の特徴が最も強く現れ、“多動性”、“衝動性”はあまりみられない。
気が散りやすい、注意散漫、ぼんやりとしやすい、忘れ物が多いなど特徴が見られ、大人しく目立たない為、ADHDと気付かれにくい側面がある。
多動性・衝動性優勢型は“多動性”、“衝動性”が強く現れ、落ち着きがなく、授業中に立ち歩いたり、おしゃべりが止まらなかったりする特徴が見られる。
また衝動が抑えられず些細な事でカッとなりやすい為、乱暴者と捉えられやすい傾向にあり、子どもの場合は大人から怒られやすいのも一つの特徴である。
混合型は“不注意”、“多動性”、“衝動性”の全ての特徴が現れ、どれが強く出るかは人によって異なる。
忘れ物が多く、物をなくしやすい、落ち着きがなく、じっとしていられない等の特徴が見られる。
専門知識がない人間からは、親の躾が悪い、乱暴者、間抜け者等の印象を持たれる。

ここでは大きく見られる3つの障害を挙げたが、他にも話したいにも話せず、子どもの頃は人見知りや恥ずかしがり屋、大人になると挨拶が出来ない、声が小さい、話さない等の印象を持たれる場面緘黙症や、自分の性別に違和感を覚える性同一性障害等、まだ世間の認識が浅い障害が沢山存在する。

一見何も抱えていないように見えても、実は見えない障害を抱え、苦しんでいる人間は多くいるのだ。
そんな人々をどうか侮蔑の目で見ないで受け入れて頂きたい。
可能であれば、サポートし、理解を示して頂きたいのだ。

敬遠するのではなく、互いの特徴を認め合い、特性を活かす、少しでも多くの人々が生きやすい環境づくりをする事が、我々の課題であると私は考えている。


実際に他者の個性を受け入れ、思いやりや気遣い、サポートを出来ている人間は非常に少ない。

私は2年間、養護教諭になる為に必死に勉強してきたつもりだ。
授業は寝てばかりで教員採用試験の2次試験前、周囲の学生が試験勉強や面接練習に励む中、コンサート団扇を作成し、コンサートと被ったから、と試験を飛ぶことも考慮してゼミ担に相談の電話をする等、色々とぶっ飛んだ学生でもあった私がこんな事を言っても何の説得力もないが、私は、心の健康や脳の障害等、生きる上で最も複雑であり重要である部分に関しては深く勉強してきたつもりである。

憲法や学校保健安全法、解剖生理、薬理、他にも沢山講義があった。
でも、私にとってはそんなものは二の次であった。
法律なんて最低限必要な文章のみを頭に入れていたらいい、解剖整理もせいぜい大きな筋肉、骨の名前すりゃ軽く頭に入れとけばいい、ベッドメイキングを正確にするよりもシーツを清潔に保つことの方が大切だ。
応急処置も最低限の事だけを覚えていたらいい、綺麗に包帯が巻けなくとも止血が出来れば、固定出来れば、後は医者に託したらよいのだ。
我々に医療行為は出来ないのだから。

それよりも大切なのは他人を理解し思いやることである。
しかし、自分の脳内では対処方法が分からない人間だって現れるだろう。
その為に我々は勉強し、意識を深める。
そうすれば救われる人間が現れるかもしれない、自殺する人間が減るかもしれない。
大切なのは相手を理解し受け止める精神であると考える。

そういった心持で生きてきたからなのか、薄々と発達障害持ちである人を見分ける事が出来る。
しかし周囲はおろか本人すら自分がそんな障害を抱えている事には気付いていないだろう。
ただ、日常の生活にところどころ苦痛を感じながら、或いは感じる事も出来ずに生活しているように見受けられる。
そして周囲の目も冷たい。
私はそんな人々にはさり気なくサポートするよう心掛けている。
具体的に表現、物を使用しての説明、落ち着いたトーンでゆっくりと、等
そのような小さなサポートでもきっと彼らは救われるのだ。
何故出来ないのかと責めるのではなく、彼らが出来ない理由を一緒に考える事が大切である。
これは教育者だけではなく、貴方達全員にも必要なことである。

困難を抱えている人は、想像以上に多い。

少しでも多くの人にとって優しい世界になる事を願っている。

 

 

ありがとうの記事

この度は、本当に沢山の人に読んで頂いて

DMとかで感想書いてくれたり、

自分の経験談をお話してくれたりして

逆に凄い励まされました。

 

 

 

何が出来ることないかなあって考えて

頭に浮かんだ言葉を殴り打ちして

自分の体験談を洗い浚い書いて

これが誰かの為になったらいいなあって

いつか誰かの役に立てばいいなあって

それが、あまり話したことない人とかも

凄い長文でお話してくれたり

本当に励みになって、救われました

ありがとう

 

 

 

 


論文を書いたとき、誰にも見せる気はなくて

でも、家族には読んでほしいかもってなったんやけど、

忙しいからって未だに目を通してもらえてなくて

実際のところ、凄いショックで、

ゆっくりできるときに読みたいってのもまあ分かるんやけどね

 


それでも私は、今まで言えなかった気持ち、体験を

初めて文にしたから、家族には読んで欲しかったし

やっぱり1番に理解してほしかったかな。

 

 

 

こういった病気を患ってる人は多いし、

気付いていない人も多いし

一生に一回罹る可能性も高いから

そんなときに、病気について理解があったら

患ってしまった人も、周囲の人間も

もう少し寄り添えるはずやのに、って。

 


わかってるようでわかってる人は本当に少ないの。

 

 

 

Twitterやインスタにも載せる気はなかったし

でも、もし誰かが罹ったときに

私みたいな思いはしてほしくないから

少しでもこういった病気について理解してもらえるように

公表することを決めました。

 

 

 

最初はTwitterにて宣伝しました。

今はインスタの時代やし、殆どのツイートが流れるから

見る人も少ないかなって。

決めたけどまだ公表するのはちょっと怖かった。

承認欲求の塊とかメンヘラとかかまってちゃん言われるの怖かった

もともとそういう性質もあるんやろうし余計に。

 

 

 

でもやっぱり伝えたいんやったら

大勢の人が見るインスタやって思って

ストーリーにて宣伝しました。

 

 

 

内心、うわ~どう思われてるかな~って怖かったけど

温かい言葉に救われました◎

 


ありがとう

 

 

 

 


よければ皆の話も聞かせてね⸜❤︎⸝‍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき【精神疾患を患って】

この度は長い長い論文を読んで頂きありがとうございました◎

 

この論文は6月頃に会社でちまちま書いてました(笑)

 

丁度調子が良くてあれもしたいこれもしたいって感じで言いたいことがぶわあって溢れてて

 

気付いたら長い長い論文に(笑)

 

ここまで書けたし治るのも時間の問題じゃない?ってるんるんしてたけど7月入ってまた調子悪くなってむむむってかんじ

 

双極性障害なのか、、?

 

 

 

 

 

6月に書いた論文を印刷して妹にパソコン借りてこちらのブログに投稿しました◎

 

自身の事を理解して欲しいって気持ちと私に出来る事をしたいって気持ちと誰かを助けたいって気持ちで公表しました。

 

正直最初は病気の事も言うつもり無かったけどあまりにも長引いてるし逆に何かに活かせたり出来たらなと前向きに考えております◎

 

ところどころ意味不明な記述があったと思うんやけど、思考を辞することで平和が崩壊することを恐れているみたいな事かいてましたよね

 

あれは、天災って誰も予想してないときに来るってやつと同じ感じで、誰かが常に世界の平和について考えてなければ平和が崩れてしまうのではないか。と当時の私は恐れていました。

 

だからずっと思考を辞することが出来なかったんですね。

 

あとなんか後半も哲学みたいな事書いてたけどね、私も偉そうに言えた身ではなくて、今日も凄い調子悪くて何もかもに絶望して、考えたくないから寝ようと思ったけど全然眠れなくて死にてえってなってた、ほんとに。

 

寝ることも許されないのー?!って

 

 

だからもう論文書き写してブログに書いちゃおうってなってひたすら無心でパソコン叩いてました

 

いまは少し落ち着いてます

 

 

最近また文章書くの苦手やからあとがきボロボロかもしれんけど、

 

 

(´・_・`)

 

 

邪魔せず見守ってくれたよf:id:maimaiblogkun:20190718000347j:image

 

 

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精神疾患を患って

 "精神疾患"と聞いてどのような病気を思い浮かべるだろうか。

 

 茨城大学保健管理センターの精神科医である内田千代子氏が学生達に問いかけたところ、次のような意見が挙げられた。

 

 「鉄格子のある暗い部屋で暴れる人々」、「残忍な事件の犯人」、「精神科に出入りするのは気が変で何をするかわからない人」、「回復は非常に困難」、「精神科にかかったら恥である」等々、"恐い"、"暴力"、"犯罪"に関係し、しかも"一不治の病"で"みっともない病気"といった印象が強く見られたとの事である。

 私も幼い頃は、上記の学生達と同様の印象を持っており、家の近くにある精神病患者が多く入院する病院には「近寄らないように」と周囲の大人達から注意深く言いつけられていた。

恐らく周りの子ども達も同じ印象を持っていた事だろう。

 

 そんな私も現在、心療内科に通院している。

 

 心療内科に通院する事になった経緯や、症状等については、後に触れていく事にする。

 

 まず、私が精神疾患への意識が変わったのは中学生の頃である。

知人がうつ病と診断されたのである。

彼女は明るい性格で周りにも恵まれており、一見何不自由のないような人だった。

陽気で楽しくいつも幸せそうな人として目に映っていた。

そんな彼女がうつ病を患う等、誰が想像しただろうか。

 この時私は、うつ病の主な症状について理解し、またどんな人でも患う可能性がある病気だと認識したのである。

 現在彼女は回復しており、元気に暮らしているが、当時の事を思い出すと今でも涙汲み、完全回復にも長い年月が掛かったと述べている。

私は彼女の症状を見て、うつ病とはそんなにも人を追い詰め、苦しめる病気なのか、と当時の私は中学生ながらも理解した。

それでもこの頃の私は、まだまだ精神疾患への理解は希薄だったと感じられる。

 

 次に精神疾患においての理解が深まったのは高校3年生の時である。

当時はうつ病以外の精神疾患への知識が皆無であり、病院に罹る事もせず、自然治癒する事が出来たが、今思えばあれは確実に精神疾患の症状だと思われる。

 事の引き金はISILによる日本人拘束事件である。

当時、新聞やマスコミは本事件を大々的に取り上げ、どこにいてもこのニュースが目に飛び込み、高等学校の日本史の授業でも議題にされた事が記憶に残っている。

 当時の私は人一倍本や、物語の登場人物の心情に敏感であり、”自分が彼らの立場なら”を基に思考する事が多かった。

現代文の教諭に感想文を称賛された事もある。

また、高等学校の現代文の授業でも村上春樹「鏡」夏目漱石の「こころ」、安部公房の「棒」、芥川龍之介の「羅生門」や南木佳士の「うさぎ」等、シリアスな物語について思考する事が多く、私は自分の特性を活かし、ますます沈潜するようになった。

その為、現代文は得意分野となった。

 

しかし、後にこの特性が仇となったのである。

 

 私はISILに拘束された日本人の心情を深く思考してしまった。

いつ殺されるか分からないという彼らの恐怖を。

 

 当初は友人に相談した事もあった。

そして友人は怯える私にこう言ったのだ。

「彼らが拘束されたのは、自ら危険を冒してまでもあの場所に足を踏み入れたからだ。踏み入れない限りそのような状況になる事は極めて低いだろう。」

しかし、それでも私は恐ろしくて気が気でなかった。

一時は友人の意見に納得もしたのだが、それでも得体のしれない大きな不安が私を支配し、眠れない毎日が続いた。

そして気付いてしまった。

”いつ殺されるのか、いつ死ぬのか分からない恐怖に晒されているのは彼らに限った事ではない”という事に。

私達は平和な日本で暮らし、幸せに過ごしているが、明日この幸せが壊れてもおかしくないのだ。

明日大きな地震が来るかもしれない、明日ミサイルが飛んでくるかもしれない、明日戦争が始まるかもしれない、明日テロが起きるかもしれない、明日私は死ぬのかもしれない。

考えれば考える程、恐怖で頭が支配され、毎日が恐怖となった。

”外出先でテロに遭うかもしれない”という恐怖から次第に外出する事が出来なくなり、毎日毎日ネットで世界情勢や戦争勃発やテロの可能性等を調べた。

”現世界で先進国同士の戦争が起きる可能性は極めて低い”、”日本は島国である為、他の国に比べてテロが起きる可能性は低い”との意見を見て、一時の安心を得る事は出来たが、何故か思考を辞する事は出来なかった。

私が思考を辞してしまえば、今の平和は崩されてしまうのではないか、と考え始め、更には自分が思考する事により世界の秩序は保たれるのではないか、と考え始め、不安や恐怖に耐えられなくなっては、同じ事を調べ、一時の安心を得る、を一日中繰り返していた。

今思えば、あれは間違いなく強迫行動だ。

 

 しかし、この恐怖、不安、苦しみを話したところで理解される訳がないと考え、誰にも相談出来ず、また精神疾患の可能性を懸念し始めたが、母親に心配を掛けたくない一心で病院に行く事も出来なかった。

 そして、自分は一体どのような病気なのか、ネットや本で調べ自己診断をし始め、息が苦しくなった時は、以前本で読んだペーパーバック法で呼吸を整え、恐怖心に襲われた時は強迫行動を繰り返し、束の間の安心を得ていた。

 

 このような症状が約3ヶ月続いた後、私は短期大学生になった。

 

目紛るしい毎日の中、新たな環境について行く事に精一杯で、徐々に不安感や恐怖心が薄れて行き、いつの間にか症状は改善していた。

 また当時所属していた学科でも精神医学の講義があり、この経験を活かす事が出来た。

卒業論文もこの経験を基にしたものを作成し、自身の経験談を交える事でより具体的で身近に考えられるような論文を作成する事が出来、あの頃の経験は決して無駄ではなかったと誇りに思う事が出来た。

 それからは社会人となり、多忙ながらも充実した生活を送っていた。

 

 そして今、精神疾患の本当の複雑さ、苦しさに直面する事になる。

 

 それは22歳の秋の事。

私は入社2年目に突入し、職場環境にも慣れ始めていた頃だった。

多忙な部署、薄情な人々、理不尽な八つ当たり、後輩社員等を抱えながらも、私は自分の仕事に誇りを感じながら仕事をしていた。

今は大変でもいつかは必ず報われる、認められる、そう信じ、また大変ながらも効率良く仕事を熟す自分が嫌いではなかった。

しかし、段々と仕事に集中する事が難しくなり、電話の鳴る音に恐怖を覚えるようになり、冷や汗が出る、震える等の症状が出ていた。

始めのうちはあまり気に留めなかったが、次第に文章が読めなくなり、思考力も低下し、人の話が理解出来ない等、様々な支障を来すようになった。

 

 私は其の頃、何故こんな状態になってしまったのか理解出来なかった。

正しくは、理解したくなかった、のである。

 

1日経てば治る、今は体調が優れないだけ、と考えていたが、何日経っても症状は治まらなかった。

 そして、この得体の知れない症状を上司に相談したところ病院を勧められ、飛び込みで診てくれる病院を予約し、医者に診断された後、漸く自分の病気と向き合う事が出来、心のどこかで安心出来た自分がいた。

 当時は適応障害と診断され、一旦仕事や職場から離れる事により回復するとの事であった。

事実私も適応障害だろうとは薄々感じていたのである。

そして3ヶ月も経てば完治するだろうと考えていた。

医者もそう考えたのだろう、処方された薬は漢方薬、療養機関は12月31日迄の1ヶ月半と診断された。

 

 しかし、それからというもの様々な不安が脳裏を過った。

始めは金銭面や、復帰後の仕事等身近な不安であったが、徐々に天災に対する不安が大きくなり、不眠の日々が続いたのである。

 しかし、その不安に対する強迫行動は何故か起こらなかった。

ここで私は強迫性障害ではなく、全般性不安障害の可能性を懸念し始めた。

予想通り、会社に紹介された病院での診察結果は全般性不安障害であった。

療養期間は2ヶ月先迄延びてしまった。

 薬はレクサプロという抗不安薬を処方され、大きな不安に悩まされる事は少なくなったものの、不眠は相変わらず続き、1月には睡眠薬も処方されるようになった。

睡眠薬は当初、ロゼレムを処方されていたが、中途覚醒の回復には繋がらず、2月にはベルソムラに変更したが、こちらでは入眠障害が見られた為、療養期間が更に1ヶ月延長、トラゾドンを併用する事により、漸く眠れるようになった。

尚、安定した睡眠がとれるようになったのは3月頃の事であり、発病から約4ヶ月後の事である。

 

 この時、精神疾患は一括りに分類出来る病気ではないと身を持って経験したのである。

 始めは仕事に対する不安のみで、仕事から離れた場所では特に何の症状もなかったが、徐々に全般性不安障害の現れ、更には睡眠障害を来すようになり、発病から2ヶ月半後にはパニック発作過呼吸を起こすようになってしまった。

 そして療養期間は更に延びる事となった。

 

 精神疾患とは様々な症状が併発し、完全な治癒には長期間の療養が必要になる事を理解した。

現在の私の病気は全般性不安障害のみならず、パニック障害でもある。

勿論うつ病であるとも言える、もしかしたら双極性障害の可能性だってある。

 

 医学上、全般性不安障害パニック障害は不安障害(神経症)に分類され、うつ病双極性障害気分障害に分類される。

しかし殆どの患者はどちらも併発している事が多い。

其の事から、”彼はうつ病だ”、”彼女は不安障害だ”等と分類し、一括りの病気として見る事が難しいのである。

 

 発病から5ヶ月後、療養期間内ではあるが、出社・勤務のリハビリを行う事になった。

医師から提案されたのは2週間に区切って勤務可能時間を増やすというものだった。

最初の2週間は出社のみ、次の2週間は午前中勤務、次の2週間は午後3時迄勤務、次の2週間は残業無のフルタイム勤務との内容である。

 

当時の私はこの方法なら出来ると考えた。

しかし現実は甘くなかった。

 

久しぶりに出社し、温かく迎えてくれる上司や、心配してくれる同僚もいたが、挨拶を無視する者、物珍しい目で見る者もいた。

以前仲良くしていた同僚も態度が冷たくなった。

出社したものの、何をしていいか分からない、以前のように鳴り響く電話、周囲の音、大勢の人、見慣れていた筈の見慣れない光景に私は戸惑った。

社内を一人で歩く恐怖、1時間デスクに座るのも苦痛だった。

毎日出勤する事も出来なかった。

会社に近付くにつれ起きる動悸、冷や汗、震え。

1ヶ月は1時間会社にいるので精一杯、週2日の出社で精一杯だった。

勿論それに応じて薬も増えた。

徐々に環境にも慣れつつあるが、リハビリから2ヶ月経った今も連日出勤はおろか、長くても2時間勤務する事が精一杯である。

 

 うつ病の治療は”3歩進んで2歩下がる”というが、本当にその通りである。

昨日は出来ても今日は出来ないなんて事が当たり前の毎日だ。

そんな自分を責め、焦る事だって少なくはない。

だが、焦ったところで仕方がないのだ。向き合うしかないのだ。

最近は焦らないように心掛けている。

またうつ病を患った事で学んだ事、気付いた事も多くある。

 

 出来れば精神疾患を患わない事に越したことはない。

ストレスの原因が明確であるならば、どうかその場から逃げてほしい。

逃げて失うものよりも患ってから失うものも多く、逃げて要する時間より、

患ってから要する時間の方が遥かに多い為、大変遅れをとってしまう。

患ってからでは遅いのだ。

 だが、もし患ってしまった場合は悲観的にならないで頂きたい。

まだまだ精神疾患発達障害等の見えない病気や見えない障害は、世間に理解を得られていない為、”気合が足りない”、”甘えている”、”元々の性格のせいだ”、おかしな人間だ”等心無い言葉を浴びせる人々も少なくはないだろう。

そのような言葉を受け、自分を責めてしまうかもしれないが、決して貴方が悪い訳ではない。

心無い言葉が飛び交うのは、うつ病を理解しているつもりで本当は出来ていない人間が殆どだからだ。

誰しも自分には関係のない事、必要な知識は全て身につけていると満足し、未開発である新たな知識をつけようとしない未熟な大人が殆どだからだ。

我々は常に様々な人間と共存している事を忘れているのだ。

 

 更に世間の発達障害に対する認識は酷なものである。

目や耳、四肢が不自由な者には些か敏感であるが、発達障害には鈍感である。

発達障害とは生まれつきの脳機能の発達の偏りによる障害であり、一見一般人となんら変わりのない様に見える事が殆どである。

しかし彼らは周囲に理解され難い特性を持っており、困難を抱えている者も少なくはないと私は考える。

 

 (本論文ではここから発達障害についての記述が始まるのだが、本ブログにおいてのテーマは精神疾患である為、ここでは割愛する。

発達障害についての記述は、また今度、別記事にて掲載する。)

 

 話を戻すが、もし見えない病気を患ったとしても、貴方は決して悪くない。

気合が足りないわけでも、甘えているからでも、元々の性格のせいでもない。

誰でも患う可能性がある病気なのだ。

発症すると、何故か気分が落ち込み、何も出来ない自分の存在価値を問い、希死念慮を伴う事はあるが、それは病気だからであり、決して貴方の本心ではないのだ。

人は生きる事を望むからこそ、この世に生を受け、その瞬間から生きる責任を負っている。

悲しい事に自殺する人々が多くいるが、決して自ら命を絶つ事を望んで生まれてきた訳ではない事を忘れないでほしい。

 この病気は多くの時間を要し、すぐに完全回復する事は不可能だが、必ず完治するのだ。

だから負けないでほしい。そして希望を捨てずに生きてほしい。

そして、精神疾患発達障害等の見えない病気への理解を貴方自身が深めてほしい。

 

 私もまだまだ治療途中の身であり、出来ない事が多くある。

現に今も任せられる仕事がない為、会社ではこの論文を書く事に時間を費やしているぐらいだ。

そして、そんな自分の必要価値について考える事も勿論ある。

だが、必ず治ると信じている。

そして今の自分が嫌いではない。

患った事もいい経験だと考えている。

 

何故ならば、今ここに自らの経験を通して、思いを綴れるのだから。

 

 

 

 

  

開設(꒪꒫꒪ノノ"パチパチパチパツ

このブログは主に

私のいいたい事を書きます多分

 

作成した論文、猫のこと、恋愛のこと、日常のこと、自身の病気のこと、仕事のこと

 

そして気分です◎

 

急にやめます。

 

よろしくな!!